わたしには夢がある

自分なりに調べたこと、思っていることを書き記していきます。頑張ります。

生きづらさと過去の失敗とトラウマチック

どうしてでしょうね。どうして私は生きづらいのでしょうか。そんなことを考えている時にふと思ったのが、いつからこの生きづらさを抱えるようになったかということです。

 

「生きづらい」と言葉にできるようになったのはここ数年ですが、思い返せば小学生の頃に壁にぶち当たっていた気がします。

 

確か4年生か5年生の時に、新入生を健康診断に案内することがあったんですよね。うろ覚えなんですが、健康診断って身長・体重測定、視力検査とかいくつかありますよね。その色んな測定や検査に上級生が下級生を案内するっていう行事(?)があったんですよ。何が言いたいかというと、まぁ案の定うまくできなかったわけですよ。案内する箇所が計5〜6個くらいあって、ただただそこに連れて行けばいいだけなんですけど、それができなかったんです。

 

後でクラスメイトからきちんと案内できていないことを言われてパニックになり、家で大泣きして母に学校へ電話してもらいました。別に電話するまでもないことなんですけどね、自分にとっては大々々失敗に感じました。

いや、私が誰かをどこかに案内するなんて無理なんですよ。ただ、同学年のクラスメイトはみんな普通にそつなくこなしていました。これがいわゆる普通なんだなと今更ながら思います。自分は普通に何かをこなすことができないんですよね。その当時はこんなふうに言語化できていませんでしたが、やっぱり自分は小さい頃から普通のことが普通にできないんだなと絶望しています。当たり前のことを当たり前にできない。普通に当たり前にできるでしょ?と世間が思うことが自分は上手くできませんでした。

 

いつかのブログにも書きましたが、中学の時にも大掃除の日に、担任からハイターを取ってくるように言われて、自分にとっては突然言われたものですからパニックになり、でも背中を押されて早く取ってこいという感じだったので、慌てて走り出したもののどこにあるかも聞けず色々探し回って30分ぐらいかけてやっとのことで探して戻ってきたら「どこに行ってたんだよ」と担任に胸ぐらを掴まれました。これも本当にトラウマです。できることならあの教師に復讐を遂げたいと何度も思いました。今もショックと憎しみが入り混じり、胸がざわざわして頭がおかしくなりそうです。でも復讐をする気力も頭脳もありません。考えるだけで疲れます。それに、復讐よりも欲しいのは共感です。ちょっとでもいいからこっちの事情をわかって欲しかったです。

 

脱線しましたが、自分は当たり前にできると思われていることが当たり前にできません。今もできていません。何気なく行う日常生活に多大なエネルギーと時間を要します。なんでこんな感じなんでしょうね。何で上手くできないんでしょうね。普通に生きたい。普通にこなしたい。ただそれだけ。