わたしには夢がある

自分なりに調べたこと、思っていることを書き記していきます。頑張ります。

ちゃんとした父親になれないこと、そもそも父親とはなんぞやとふと思ったこと、そもそも私は私で精一杯であるということ

私が思う理想の父親像は、ずばり穏やかであることだ。そして暴力を振るわないこと、暴言を吐かないことも追加したい。

そんなこと当たり前でしょう。当たり前なんですよ。でもそれができない。私は暴力を振るったことはまだないですが、叫び散らかしたことはあります。側から見れば虐待に相当すると思います。

 

私は既に親としてはもう一杯一杯で、そもそも日々の暮らしの中では自分をどう生かすかに必死で、それ以外に目を向けることができないんですよね。よっぽど調子が良ければできるのかもしれませんが、調子が良い日なんてここ最近であったでしょうか。と言いますか、「調子が良い」とはどういうことなんでしょうね。私は私を把握することが苦手です。

 

父親とは何なんでしょうね。どうすればちゃんとした父親になれるのでしょうね。私にはさっぱりわかりません。私は人としてアウトなことをしてきたので、まずは父親どうこうではなく、人として一生をかけて罪を償うことが大切に思えてきました。

父親になるのではなく、まずは人としてセーフな行いを積み重ねることが今の私がするべきことだと思います。

 

因果応報。私はもっと苦しむ必要があるのです。でも、苦しい思いをしても、私が犯した罪は消えません。苦しさに逃げて、罪に向き合わないことは人として終わっています。

 

私は自分のことで精一杯になると行動が極端になりがちだということはようやく自分でわかってきました。変に行動的になって、でもその行動は長くは続かず、結局は何にもならず、自分の理想像がへし折れます。へし折れるだけならよいのですが、それを周りの人や社会のせいにして、憎んで、恨んで、羨んで、そして人に迷惑をかける行動をしてしまいます。

 

私は自分のことをいかに諦め切れるかが大事な気がします。と言いつつもずっと諦めきれないできました。どうしたら諦められるのでしょうか。