わたしには夢がある

自分なりに調べたこと、思っていることを書き記していきます。頑張ります。

転職して2年目、新年度が始まりました

始まって既に1週間が経ちましたね。

私は転職して2年目、幸か不幸かなんとか1年間を乗りきることができました。職場の雰囲気にも始めの頃よりは少しは慣れたかと思います。転職したばかりの頃は、ふわふわした状態がずっとあって、自分がここで働いている現実に実感が持てませんでした。

それに初めての単身赴任ということで、生活もぐちゃぐちゃで訳がわからなくなっていました。

そんなこんなで、精神状態は相変わらずあまりよくなく、転職前よりは少しマシな程度です。まぁ、それをどう捉えるかですが、私としてもう少し精神的に安定した日々を送りたかったですね。でも、新しい環境に慣れることと、精神を安定させることの両立は、私にとってとてもハードルの高いことでした。なので、ひとまず新しい環境に少し慣れたことはプラスの材料かと思います。

なかなか理想どおりにはいかないですよね。

風船がわれる

不安が止まらない。

どうしようもないほど不安でいっぱいだ。

今日は家庭の都合で休みを取った。明日は休みを取らなくてよいので予定どおり出勤する。

休み明けの出勤はなぜか緊張する。これも自分の病気のひとつなのか。いや、そもそもそんな風に感じてしまう性分のようなものなのかもしれない。

今の状況が既に限界なのだ。自分はそれに気付いているのに、尊大なプライドで蓋をしてきた。でももうそれも通用しない。

とにかく身体がおかしい。

有給休暇取って私の幸せについて考えてみた

今まであんまり有給休暇を取ってこなかったけど、今年度は自分なりの働き方改革として有給休暇を取るようにしている。

今まで有休が取れないわけではなかったんだけど、休み方が下手で、体調不良の時にしか取ってこなかった。

ただ、今思えば体調が不良になる一端は、休み方が下手なことにもあるのではないかと思った。

今年度は新しい職場1年目ではあるが、有休をしっかり取ろうと決意。しかし、いざ新しい職場での仕事が始まると、慣れるのに精一杯で、休みを取らせてほしいと上手く言えなかった。

でも、半年くらい経ってから思い切って休みを取るようにした。休みを取り始めたばかりの頃は、有休取得に違和感があり、せっかくの休日も仕事のことばかり考えていた。「休みの間に自分が何か落としていたことがあったらどうしよう」「何か言われてはいないだろうか」とわけのわからない妄想を描き上げて、自分で自分を追い込んでいた。今もそうだ。まだまだ有休取得に抵抗がある。迷惑をかけたらどうしようではなく、「迷惑をかけて何か言われたら嫌だな」という尊大なプライドによる心理的抵抗だと自分なりに考えている。

でも、休みを取ったって、迷惑かけたって、怒られたって、仕事がちゃんとできてなくてお客さんに怒られたって、もうこれは仕方がない。なぜならこれが自分の限界なのだから。「努力が足りない」「中途半端にしか頑張ってこなかった」、確かにそう言われたらその通りだと思う。実際にそう言われたこともある。

自分はそれを言われてからノートを書くようにした。仕事の反省などを記すためだ。そのうち、反省だけでなく勉強したことも書き記すようになった。でも、毎日は続かず、半年以上間を空けることも少なくない。でも仕方がない。これが自分の限界なのだ。自分は頑張っている。こんな感じでも自分なりによくここまで社会人を続けてこれたと思っている。

「努力」「向上」こそが社会人としての正しさ、誠実さだと思ってきたが、その結果、自分に見合わない働き方をして体調を崩し、休日を休日として過ごせず、通院し服薬治療が必要な状態になった。

頑張ることができる人はそれでいい、自分に合った頑張り方ができるのならなおのこといい。

私は自分に見合わない働き方、働く職場を選んできた。そして今日に至る。

みんなが安定した精神状態で10頑張れるところを、自分は2.1しか頑張れないなら、その2.1を安定した状態で頑張れるような職場、働き方をしたほうが私はきっと幸せになれると思った。

半沢直樹のように仕事に没頭して、成功できたらと淡い妄想を描き倒していたが、あれは半沢直樹だからできる仕事の仕方なのだ。それに、仕事は没頭するから上手くいくのではなく、上手くいくから没頭でき、その先に成長があり、成功もするのだと思う。

私は半沢直樹のやり方を真似しようとすると精神がおかしくなることが十数年働いてきてようやく悟れた。

というか、そもそも私はどう考えても今の仕事が向いていないのだろう。なぜなら精神状態が徐々に悪くなっているからだ(転職前よりは若干マシだが)。

私はまず今の仕事を辞めて、単身赴任も辞めて、家族と一緒に生活をする。

そして、精神科で治療を続けながら、新しい職場を探す。

職種や仕事内容は大きく変えない方がいいだろう。そして、責任がほぼない、言われたことを黙々とする仕事を探す。

これは、2つ目の職場ではじめは何も責任が生じておらず、仕事もほとんど回ってこなかった時期があったことが理由だ。その時の私はすこぶる体調がよかった。夜はしっかり眠れ、休みの日は運動をして、暴飲暴食もなく、体重も精神も適正であった。仕事が回ってこなかったのはとてもストレスだったが、それで精神科に行かないといけないほどの状態にはならなかった。

つまり、私にとって仕事とはその程度のものであるのだ。私の心の天秤は「何かを成し遂げたい」よりも「楽に生きていたい」の方が圧倒的に重たいのだ。

だから、これからは自分に見合った場所を見つけて、そこで静かに過ごしていけるようにしたい。それが私が幸せにつながる予感がする。

失敗っていう言葉を知ってしまったから

私の頭は労働というものにあまりにも引っ張られ過ぎているのかもしれない。

労働における失敗=人生を失敗と捉えてしまう。なぜなのだろう。私は昔から考え方のバランスが悪いというか極端なのだ。たった1mmの失敗でも地球滅亡ぐらいのスケールで捉えてしまう。大したことのない出来事をわざわざ自分の手であたかも大それたことかのように仕立て上げてしまうのだ。

今書いていて思ったのが、これは仕事に限らず、生活のありとあらゆる場面にも言えることで、ちょっとでもうまくいかないことがあるとすぐにパニックを起こし、脳内にいるもう一人のリトルな自分が慌てふためき暴れまわる。

ということは、これはどの仕事に就いたとしても、この自分の歪んだ考えを修正しない限り、この面倒くさい性分と一生付き合わないといけなくなる。

「失敗」という言葉を頭から消し去れば、こんなに苦しむことはなかったのかもしれない。でも、仮に「失敗」が消えても「何だかうまくいかないな」「変だな」「モヤモヤするな」という言葉にならない「失敗」という感情に振り回されそうな気がする。

どうしたらそんなに緊張せず、楽に毎日を過ごせるのだろう。

放り出したくて

何もかも。休みの日も仕事のストレスが断続的フラッシュバック。薬を減らしたいんだけど今の状況が続く限り、薬は手放せない。

薬なんて飲まなくてもやっていける仕事がいいんだろうな。でも、自分にはそんな仕事が果たしてあるのだろうか。ちょっとしたことを大袈裟に捉えてしまう自分の認知の歪みを直さないといつまで経っても同じ状況が続く。

コミュニケーションを取らずに、細かな作業もなくて、手取り15万くらいの仕事があればいいな。

というか、そもそも就職自体が向いてないんだろうな。

もうどうしようもないなこりゃ。

どん底と考えられる時はまだどん底じゃないが、それでも辛いものは辛い

辛いです。うんざりするほど辛いです。仕事から帰った後も、仕事のことを考えてしまい頭がおかしくなりそうです。

ストレスを溜めぬようにと以前は散歩をしたり、ドライブしたりしていましたが、今はそんな気分には到底なれず、ただただYouTubeを垂れ流して、気が付いたら翌日を迎えて、より憂鬱になる毎日を繰り返しています。

転職してもうすぐ1年が経ちます。自分の状況を変えようと思って転職してみましたが、状況はかえって悪化しました。

不眠に加えて頭痛も強くなり、薬の量も増えました。

こんな人生にするつもりなんてこれっぽっちも思っていませんでしたが、やはりそう簡単にはうまく事を運んでいけないですね。

こんな人生にするつもりはなかった

生きるとか死ぬとか本当にもうどうでもいいわ。本当にもうどうでもいいくらい人生どうでもいいわ。いや、決して良くはないのだけれど、あまり深く人生について考えられない。何でこんなにも自分は頭が悪いのだろう。全然頭が良くならない。勉強しようとしても続かない。「努力が不足している」と言われたらまさにそうなんだけど、自分のせいにはしたくない。まぁ何とも身勝手極まりない醜悪の権化のようだ。妬ましい、憎たらしい、そんな思いが胸に充満している。

誰か助けてほしい。何だか自分は薄暗くて床が冷たく、壁があるんだかないんだか極めて曖昧な地下の部屋にいるみたいだ。決してこの先ここから浮上すること兆しを一切感じられず、夢も希望も塵と化した毎日だ。

何で自分は何者かになれなかったのだろう。家族さえも憎たらしく思えてしまう。もう病気が末期なのかもしれない。この先もずっとただただ途方に暮れるしかないのだろうか。

何で頭が良くないのだろう、何で金を持っていないのだろう、何で一軒家で生まれなかったのだろう、何で友達付き合いが上手くいかないのだろう、何で恋人を作れないのだろう、何で人と同じことができないのだろう、何でアルバイトすらろくにできないのだろう、何で同じ仕事を十年以上続けてきたのに一つもろくに自分で考えてできないのだろう、何で自分はこんなに能力が低いのだろう。どうして、どうして、考えても考えてもわからない。

昔からそうだ。鈍臭いし、マイペースだし、人と上手く関われないし、自分が思っていることを上手く伝えられないし、卑屈で、陰鬱で、それに加えて極めて陰湿だ。

何でこんな人間になってしまったのだろうか。もっと上手くいくことはないのだろうか。みんなと同じようなことができるようになりたかった。今はもう息をすること自体が苦しい。この世界はあまりにも苦しい。辛くて辛くてどうしようもない。

もう辞めたい。何もかも辞めたい。誰かここから連れ出してくれ。もうたくさんだ。