わたしには夢がある

自分なりに調べたこと、思っていることを書き記していきます。頑張ります。

過去のとある先生とのとある思い出から卒業したい

今週のお題「〇〇からの卒業」

 

私はコミュニケーションが苦手だ。物凄く苦手というわけではないが、自分の気持ち、考えを言語化することに時間がかかってしまう。言語化することが苦手なのだと思う。また、相手が言ったことを聞き逃してしまうこともある。おまけに、相手の意図を察することにも時間がかかったり、的を外したりと、コミュニケーションでうまくいかない体験を覚える限りでたくさんしてきた。その都度周りに迷惑をかけてきた。

 

そんな自分の苦手さが原因で苦い思いをしたことがある。あれは中学1年の時だ。学期末で生徒と先生全員で校内の掃除をしていた。掃除の途中で担任の先生から突然、

担任「じゃあ◯◯(私の名前)くん、ハイターを取ってきて。10秒で、いーち、にーい」

私「えっ、はい!」

 

いきなり言われたので意味がわからなかった。でも何か数を数えていてとりあえず駆け足で階段を降りて行った。そして私は困った。

 

「ハイターの場所がわからない」

 

これは記憶がうろ覚えなので正確性に欠けるが、とりあえずあたりを見回したり、走ったりして探した。でもわからない。それに自分は周りの人に「ハイターはどこですか?」と聞けなかった。聞く余裕もなかったが、そもそも「ハイターが見当たらない」と言語化できていなかった。パニックになっていたのでよりわけがわからなくなっていたのだろう。その後も廊下を走って走って走りまくった。でもハイターは見当たらない。しばらく途方に暮れとぼとぼ歩き、保健室の前を通りがかったところ、保健室の入り口の床にハイターを見つけた。

「あった!」。私は嬉しかった。やっとの思いでハイター見つけた。保健室の先生にお願いしてハイターを借りてすぐに元の場所に走った。走って戻ったところ、いきなり担任の先生に胸ぐらを掴まれた。

担任「どこに行ってたんだよー」「階段下の廊下にあるって言っただろう」

 

私は何も言葉にできず、苦笑いしかできなかった。周りのクラスメイトは笑っていただろうか。あまり覚えていない。

 

担任の先生はあくまで冗談まじりであったのだろう。なぜなら、階段を降りたらすぐにハイターはあったというのだから。本来なら10秒くらいで戻って来れたに違いない。でも私は担任の先生が言うには10分くらいかかったという。自分は必死に駆けずり回ったので時間なんか見ていなかった。見る余裕もなかった。

すぐそこにあるものを私は見つけられなかった。階段下にあることも知らなかった。おそらく掃除の前から掃除中に先生が説明していたのだと思う。でも僕はそれを知らなかった。聞いていなかったのだと思う。聞いていなかった自分が悪い。これは本当にそう思う。それに、ハイターを見つけられなかったのならすぐに「どこにありますか?」と聞けばよかった。でも自分にはそれができなかった。思いつきもしなかった。今で言うコミュニケーション障害だ。

 

ただ、この時を振り返って思うことは、胸ぐらを掴む前に少しでいいので私の話を聞いて欲しかったということだ。何らかの事情があることを察して欲しかった。これが社会人なら「そんなこと言ってらんねえよ」でシャッターを閉められてしまうかもしれないが、この時の自分は13歳。もちろん、自分の気持ちをスムーズに言える生徒がほとんどであろう。でも、中には自分の気持ちをスムーズに伝えたり、言ったことをしっかり聞いて理解したりすることに苦手さをもつ生徒もいることを知って欲しかった。悲しかった。胸ぐらを掴まれた恐怖だけではない。それ以上に自分の話を聞いてもらえなかったことだ。

 

その担任の先生と関係は授業以外では1年間で終わった。残りの2年間は違う先生のクラスで過ごした。中学を卒業後、私はとある縁で母校の中学のサッカー部の練習に手伝いとして時々参加するようになった。練習に参加したある日の帰り、正門前でかつて私の胸ぐらを掴んだ先生が立っていた。私は会釈だけして通り過ぎようとした時、「サッカー部、この前で試合で勝ったんだな。頑張ってるな」とその先生から言われた。私は突然のことで言葉が出ず、「うす」みたいな返事だけしてその場を離れた。その後も数回ほど出会い、その都度「頑張ってるな」のようなフレーズを言われた。私は特に嬉しさはなかった。

 

私が中学を卒業するまでその先生からポジティブな言葉をかけられたことはなかった。そもそも話すらほとんどしていない気がする。なので、むしろ卒業後の方がやりとりをしているのかもしれない。私は会釈や「うす」くらいの返事しかしていないのでやりとりと呼べるものでもないが。

 

あれから十数年経つが、ハイターのことは今でも時折思い出す。と同時に、卒業後のその先生からの言葉も思い出す。ハイターの一件は正直悲しかった。しかし、卒業後の先生とのやりとりは嬉しくはなかったが、悲しくもなかった。卒業後、先生はなぜ私に話しかけたのだろうか。何かを伝えたかったのだろうか。今でもよくわからない。ただ、卒業後の方が関係性はよくなったと思う。

 

人には必ず背景がある。そこをどれだけ想像できるかが大事だと思う。

先生が私の胸ぐらを掴んだ行為、聞いてくれなかったことは今でも忘れない。しかし、私も知らず知らずのうちに誰かを傷つけているのかもしれないとも思う。誰かが私のせいで一生忘れない傷を負っているかもしれない。

 

胸ぐらを掴んだ先生も、卒業後に話しかけてくれた先生も、同じ1人の先生だ。

 

卒業後、数回ほど正門前でやりとりを交わして以来、その先生と会うことはなかった。今後も会うことはないだろう。向こうも私のことは忘れているだろうし、私も会おうとは思わない。

 

中学は卒業したが、この思い出からはいまだ卒業できていない。でも、今回書いたこの記事がとある思い出からの卒業証書になればいいと思っている。