わたしには夢がある

自分なりに調べたこと、思っていることを書き記していきます。頑張ります。

暗黙の了解というのがわかりにくいんですよ。でも、自分も知らず知らずのうちに周りに暗黙の了解を求めていることに気が付きました。

わからないのです、暗黙の了解というやつが。私はですね、コミュニケーションで散々失敗してきているためか、なるべくすれ違いを起こさないように、やらかさないように、相手が言ったことを忠実にこなそうと思うわけですが、微妙に的が外れたことをやるんですよ。

「いやそれは言わなくてもわかるでしょ」ということが分からなくて、気がつかなくて、時には気が付けてもそれが随分後になってからで、それだと気付いたとしても時すでに遅しということで・・・。

なので、「こういうことですよね」という具合に確認をするようになりました。これは社会人となって、色々な失敗経験を重ねて、周りのアドバイスを聞いて理解して実行できるようになって、ようやく少しずつできるようになってきました。昔はそれを失敗とすら思わず、もっと言うならやらかしたことにすら気づいていませんでした。ある意味気がつかない幸せとでも言うんでしょうかね。

「自分は思い込みで動いてしまうことがある」という自分の思考・行動パターンを振り返るようになったので周りのアドバイスに理解しにくいんですよね。聞きたくないわけではなくてただどこか腑に落ちないんですよ。納得しないと動けないとでも言いましょうか。まぁ、これも随分厄介なもので、「暗黙の了解がわからない」とはまた別次元の話なので今回はこれ以上掘り下げません。

暗黙の了解にすぐに気がつけない私ですが、そんな私も暗黙の了解を駆使しようとしているんですよね。そしてそれを周りに求めようともしていることに気が付きました。ただ、ここで言う暗黙の事柄の定義はあくまで自分自身に特化した非常に個別的な暗黙の事柄のことで、それを暗黙に了解してほしいということなのです。まぁ、端的に言ったら「私の事情を察してよ」ということです。でも、私の事情はあくまでも「暗黙」なので周りの人にとってはわかりにくいんですよね。加えて、私は自分の事情を伝えるのが苦手なので上手な人に汲み取っていただけると大変ありがたく思います。でもこれって冒頭の「言わなくてもわかるでしょ」と同じなんですよね。同じことを思っていて、それを周りに求めているんですよね。

いち個人の事情を暗黙の事柄と言ってしまうのはちょっと違うかなって今書いていて思いました。