わたしには夢がある

自分なりに調べたこと、思っていることを書き記していきます。頑張ります。

高校時代に戻りたいと思っても、もう遅いんですよ。

10月が始まりました。そして急に寒くなってきましたね。特に朝晩が冷えます。

 

心身が安定した生活を夢見て、絶賛転職活動中なわけですが、これがまぁうまく行きませんわ。年齢的にも厳しくなっているのは事実ですが、それ以上に自分のプライドが邪魔している気がします。

苦手なことは極力少ないところで・・・、家から通える距離で・・・という条件で探しているのですが、中々見つかりません。

 

「何でもします!」と宣言できるメンタルもありませんし、怒られたらすぐに行きたくなくなりますし、薬は相変わらず必要ですし。何だかこの状態がこれからもずっと続くと考えるとゾッとしてきて眩暈がします。秋になって色々なことに妙に感傷的になるのか、ここ最近は心身が不安定で、体重も激増中。

 

苦しい日々が続きます。少しの間だけでも実家に帰ろうかしら。

採用試験に落ちて、気が付けば9月が終わりそうです

あと少しで10月ですね。だんだんと日が暮れるのが早くなり、秋の訪れを感じる今日この頃。

 

話は変わって、私は現在転職活動をしております。この先のことを色々と考えると転職した方が良いのでは?と半信半疑の状態でハローワークや求人サイトを眺める日々。

そして、良さげなところが見つかったので早速応募しました。

 

結果は不採用。ダメでした。

 

面接を受けている時に、受け答えに手応えがなかったのと、採用担当者の方々からの質問に対して思わず顔面が痙攣してしまい、受けている最中で「あっ、これ多分ダメだわ」と予感しました。

 

とりあえず受けてみて、あわよくば・・・とは思いましたが、やっぱり人生はそう簡単には思い通りにいきませんね。 

 

転職活動をしていると、年齢のことをよく考えるようになります。実績も実力もあればきっと転職はうまくいきやすいでしょうし、そもそもそのような人には企業側からお声がかかるでしょうね。

 

そうではない私のような転職活動家は、うまいこと履歴書を書いて、うまいこと面接を切り抜けなければなりません。

 

これまで何してきたんだというツッコミが入りそうですが、それは自分でも本当にそう思います。その通りです。

ですが、自分にとっては、今の自分の状態に至るまで、自分なりに必死でやってきました。もちろんたくさんサボりましたし、勉強に向かわずにだらけた1日を何百日と送ってきました。それが今のこの状況を生み出しているのです。

 

でも、自分なりには頑張りました。なのでここらへんがいわゆる自分の限界だと痛感しました。

 

実績をつくれず、つくらず、力もない、そんな自分にはなかなか厳しい社会です。

 

転職ができないなら、今の職場にしがみついて、食い扶持を繋ぐしか他に道はなさそうです。

 

職場の人にも慣れてきたのでもう少しだけ今のところにいるのもいいのかもしれません。

もちろん苦肉の策です。

秋になり、色々と寂しい季節になってきました。

 

8月になりましたね

気が付けば暦は8月に入り、本格的な暑さを迎えていますね。30℃後半なんて日には、少し外に出ただけで頭がクラっとします。

体力を付けようと、少し歩いてみますが、照りつける日差しにすぐに参ってしまうので、もうどうしようもありません。

ところで、社会に出てみると、コミュニケーション能力と社会性と要領のよさと少しばかりの知性があれば、鬼ばかりの世間を何とか渡っていけるのだと気付きました。

これは、裏を返せば知性というのはそこまで必要ではなく、それよりも人と協力できる、わからないことを聞ける、何かあったらすぐに報告できる、相手の意図を汲み取れる、無理なくかつ納期までにこなせるスケジュールを組める、実際に納期までにこなすなどの能力の方がはるかに必要なのです。

僕は勉強は得意ではないですが、一人で黙々と知識をつめこむのはそれほど苦ではありません。

しかし、社会では黙々と知識をつめこむ必要はそれほどありません。

私は完璧なる社会不適合者です。

この先どうやって生きていけばよいのか皆目見当が付きません。

疲れましたので、今日はこれで終わります。

 

消えたくなる

どうしてこううまくいかないのだろうか。どうしてこうもっと普通に過ぎ去っていかないのだろうか。

なぜか私のやることなすことというのは、いちいちどこかに、何かに引っかかり、中々前に進んでいかない。

よどみが必ず生じる。

いや、他のみんなも案外そうなのかもしれない。引っかかっても次の道をすぐに探して、流れが止まらぬように工夫を一生懸命しているのだろう。

私も「一生懸命」やっているつもりだが、他のみんなの「一生懸命」とは程度や次元などありとあらゆる側面で量的かつ質的な差異があるに違いない。

 

私はどうあがいてもそちら側には行けない。努力が足りないと言われたら、それはそうかもしれないが、これ以上の努力が必要となるのであれば、今生きている社会は向いていないのだと思う。

 

木っ端微塵に吹き飛んでしまえばいい。

一日一枚

今週のお題「やったことがあるアルバイト」

 

かの有名な少年漫画、HUNTER × HUNTERはみなさまご存知だろうか。おそらく今の20代後半から40代前半の人は、その名前ぐらいは聞いたことがあるに違いない。

その漫画にはゼノ=ゾルディックという人物が出てくるのですが、その人の服には垂れ幕?(掛け軸?)がかかっています。そこには四文字熟語のような格言が書かれていて、初登場時には確か「一日一殺」という言葉でした。

ゼノはゾルディック家の一員で、ゾルディック家は暗殺を生業としているのです。「一日一殺」は納得ですね。

 

何が言いたいかというと、私は昔ファミレスで皿洗いを生業にしており、そこで私は皿を一日一枚以上割っていました。

 

そうなのです。ゼノ=ゾルディックという方と同じで、私はファミレスの食器をを一日一殺していました。

割ったら「パリーーーン!!!」と大きな音が客席に届いてしまうので、即座に「すみませんでしたー!!」と大きな声を厨房から客席に届けました。

 

他にも、自炊しないくせにオムライスとかハンバーグなんちゃらとか色々作らないといけなかったのでてんやわんやでした。スピードも求められるのでミスのオンパレードです。

次第にそのファミレスに居づらくなり、皿洗いを始めてから数ヶ月も経たないうちに、私はファミレス稼業から足を洗いました。

「仕事を辞める=逃げる」ことなのか

とりあえず、今の職場は今年度いっぱいで辞める(つもり)である。精神はすり減るし、単身赴任でお金もすり減るし、人生における自分が大事にすべき?ものがとことんすり減っていく。こんな状況を続けていくことは、精神衛生上および色々な側面から見て決して適切ではないのだろうと痛感しており、その痛みが日に日に増しているので辞める(つもり)。

 

なぜ(つもり)なのか。それは至って簡単で、次の職場が果たして見つかるだろうかと不安に感じているからだ。そして、もう一つが今の職業を辞めることへの幾ばくかの抵抗感を有しているからだ。抵抗というのはプライドという言葉にも置き換えられる。尊大で必要ではないと分かっているのに捨てられないものである。

 

ではなぜ捨てられないのか。それは周りの目を気にしているからだ。

「逃げた」と思われたくないからだ。

 

ただ、果たして本当に周りの目は自分に向いているのだろうか。1日の中でふと冷静になれる時間が私にもあり、その中でそんなことを考える。仮に周りの目が私に向いていたとしても、「逃げたんだな」と思われても、「辞めるんだな」とそれを実際に口で言われたとしても、それが何か私に影響を及ぼすのだろうか。

 

おそらくだが、影響は及ぼす。ただし、その影響自体は私が作り出しているフィクションであり、誇大な妄想物語なのだと思う。影響を受けるかどうかは私の捉え方次第なのだ。

でもやっぱり私は周りの目が怖い。周りの口からついて出てくる言葉が怖い。それらを考えるだけで身がちぎれる思いだ。大袈裟に聞こえるかもしれないが、私にとってはやはり恐怖でしかない。

 

病気なのだろう。小さい頃はあまり周りの目を気にすることはそれほどなかった。そもそも私は周りの人に関心が乏しい。なので「周りの存在」や「目」に気づいていなかったから気にすることがなかったのだろう。

そして小学生を経て、中学生を経て、高校生を経て、歳を重ねて徐々に気づくようになり、いよいよ社会人となり、「周り」との関わりを否が応でも求められるようになり、「周りの目」を気にしながら仕事をすることを学んだ。

そして病気になった。

 

要は過剰適応のような状態だったのだと思う。元々周りの人との関係を作ることに興味がなかった上、それでも関係を作る術を身につけなければならず、でも関係を作ることはやはり苦手で、苦手なことを続けていくとやはり人間はどこかが壊れていく。無理をしてでも適応しようとした結果が今の状況を引き起こしている。

 

この状況を作っている一番の要因は、仕事=人生と思い込み過ぎてしまっていることと、その仕事が自分にとって苦手な分野であることだと自負している。

 

今の仕事は資格職で、奨学金を借りて、親に金を出してもらって取った資格である。その資格で働くことが約束された上で学生時代を過ごし、その資格で就職した。そしてその資格で苦しむことになる。このように苦しむ自分を学生時代の自分は全く想像していなかった。別に上手くいくとも思っていなかった。というか、仕事で成長しようとか成功しようとか、誰かのためにとか、社会のためにとか、そんなことは何一つ思っていなかった。何回も書くが、そもそも私は周りに興味が微塵もなかったので、そんなことを追い求める発想なんて出てくるわけがないのだ。源泉がないのに湧き出るものがあるはずもない。でも、社会に出て、「周りの人の目」の存在に気付き、でもどう対処して良いかわからず、でも何とか対処しないと社会でやっていけないことを知り、何とかかんとか健常者のふりをしてやってきた。

 

「周りの人」は仕事をきっちりこなしており、でも時には上手に息抜きをして、周りと上手くやって、求められることに応えて、成長し、成功もしている。そんな周りの人に私は憧れた。「どうやったらあんなふうになれるのだろう」と羨望の眼差しで見ながら、自分なりに頑張ってきた。でも上手くいかなかった。当たり前だ。自分にそんなことができるはずもない。そんな発想も能力もないのだから。

 

そんなこんなで周りに追いつけ、追い越せ精神でやってきたが、追い越すことなんてできるはずもなく、むしろ追いつくどころかスタートを切ることすらできなくなってしまった。

やはり人間は健康が一番だ。肉体的にも精神的にも元気でなければ何かをやってみようという発想も気力も出てこない。

 

こんな状態になって、まだ今の仕事を続けるべきなのか。おそらく違うだろう。周りを気にして今の状態をもっと悪化させたいなら話は違うが、毎日「死にたい」と心の中でつぶやいている状態はやはり健康ではないし、できればこの状況から抜け出したい。

 

仕事を辞める=逃げるということは事実であり、それ以上でもそれ以下でもない。その職場とその資格から遠ざかるのだから。

逃げることで周りから「逃げた」と言われる恐怖はずっとある。たった一瞬の出来事、言った人たちは自らの発言を瞬間的に忘れるのに、私は覚えている。いやまだ言われてはいないが言われた妄想をしているので言われていることになっているのだけなのだが。

 

何が何だかわからなくなってきた。そもそも私は言葉が苦手だ。整理整頓も苦手。いらないものが溜まりに溜まって処理できなくなり、半ば投げやりになって捨てるのがいつものオチ。

それは自分の人生でも同じ現象が起きている。

 

だったらやっぱり逃げることが今の自分にできる一番マシな選択なのではないだろうか。

「仕事を辞める=逃げる」これは確かだ。

だからどうした。そう思えるようになった時には既に逃げ終わっている頃だと思う。

 

 

持っている資格で咲かないといけないのか

「置かれた場所で咲きなさい」

 

そんな本があったような気がします。

 

 

 

ありましたね。気のせいではありませんでした。でも、私はこの本を読んだことがないので言及しようにもできません。

 

ですが、この本のタイトルにある「置かれた場所」というキーワードに私はずっと頭を悩ませてきました。

 

社会人になり、2つ目の職場で社会人としては大変聞こえのいい「昇進」を経験しました。今思えばそれは地獄の始まりであり、今もその地獄を引きずっています。ただ、地獄というのはもっと前から始まっていたのかもしれません。それに気づいていなかっただけで、「昇進」という出来事によってその地獄がものの見事に浮かび上がってきたように思えます。

 

端的に言うと、私は昇進によって体調を崩し、服薬が必要となりました。その状態は現在も続いています。小さな部署のまとめ役になったのですが、私にはそんな才能はこれっぽっちもなく、何とかかんとかしてそのスキルを身につけようと奮闘しました。「このままじゃダメだ」と思い、ビジネス書や自己啓発本、「リーダーとは何か」など色々なジャンル、タイトルの本を読み漁りました。でも、「リーダーとは何か」という問いに答える術を身につけることは最後の最後までできませんでした。買った本は全てブックオフに売りました。余談ですが、有名な本は少しだけ高く売れました。

話を戻します。まとめ役、つまりリーダーになろうと自分なりに頑張ってきました。この場所で何とか成果を残そうとして頑張りました。そして逃げるようにして前の職場を辞めて今の職場で働いています。でも、今の職場でも精神状態はお世辞にも良くはなく、毎日ハローワークを眺める日々です。

 

そんな日々を何でこんなに苦しまないといけないのか。毎朝毎晩発狂して狂ったように大声を出し、不安を和らげる薬とお腹の具合を整える薬を朝と夜に飲み、仕事に行っている今の自分の状況に対して自問自答してしまいます。

 

世の中そんなものかもしれません。働かないと食べていけません。実際はそんなことはないでしょうが、奨学金を返さないといけないし、その他ローンがあったり、色々と悩みは尽きません。

 

「では今の仕事を辞めて違う仕事に就けばいいじゃないか」

 

確かにその通りかもしれません。思い切って全然違う世界に飛び込んでいけばいいのかもしれません。でも私にそれができるのか皆目見当がつきません。そして、ここが私の最大の悩みの種なのですが、自分が手にした資格を元手に働くか否かということにここ1年以上はずっと悶々としています。

 

自分は一種の資格職です。資格を持ってして働いています。ですが、その資格は特別希少価値が高いわけではなく、この資格がないとできない仕事があるわけでもありません。一応国家資格の一つですが、国家資格なんてこの世にごまんとあります。

たかが国家資格、されど国家資格。この「されど」に悩みを募らせているのです。

なぜか。せっかく年月とお金をかけて取った資格で、かつそれで10年以上やってきて、今更その資格の職業以外の仕事に就けるのかと、就いたところで結局上手くいかなくて自分の状態がもっと悪化したらどうしよう。そんな悩みが出ては、それを有耶無耶にしようと薬を飲んでいます。

 

ただ、その資格のもと仕事に励んでいるわけですが、はっきり言って仕事で幸せになってないんですよ。働いてから数年は幸いにも健康な状態でやってきましたが、年月が経てば経つほどほど自分の仕事に対する向いてなさ、センスのなさ、何より社会で働く上での社会性のなさに気づいていくわけですよ。そういうのを気にせず、没頭してスキルを上げて、自分の足りない部分を補えるようにしていけばいいのでしょうが、今の自分にはそんな余裕はありません。勉強しようにも勉強する体力も気力も底をついています。日々の仕事を何とかこなすのに精一杯です。

いや、世の中のみなさんはそんな状況でもスキルを磨いて、己を高めて、家庭も築いて、自己実現をしているのでしょうが、残念ながら私にはそんな芸当はできませんでした。仕事で成功したり、成長したり、そんなことを夢見ていましたが、今はいかに毎日を逃げ切るかにメンタルと頭脳を振り切っています。

 

こうやって書いているともうこの資格で働くこと自体詰んでいるんですよね。わかっているんですよ。でもまだ辞められないでいます。「もしかしたら・・・」「この先続けていけば・・・」「とんでもない成功を・・・」なんて想像や妄想が未だに頭を駆け巡るわけです。そんなこと微塵も感じない現状が目の前に転がっているにもかかわらず。

ここまでくるともう病気の域ですし、現に病気を患っていますし、治りそうにもないですし。仮に今の資格職を辞めて違う仕事に就いたとしても、今の気持ちのままでいると結局は同じ道を辿りそうな気がします。でも、今の仕事をこの先もずっと続けていくことを考えると吐き気がしてきて目眩に襲われます。

 

思考が堂々巡りしていますが・・・、

結論、今の職場は辞めて今の精神面の治療をするべきですよね。それで、ある程度精神面が落ち着いてからもう一度仕事について考えた方がいい気がしてきました。でも踏ん切りがつかない。でもつけなきゃいけない。ジレンマ。

 

置かれた場所で咲くことができず、持っている資格でもやっぱり咲くことはできなかった。これが今の自分の現状。現実。真実。

その資格に対するセンスがなくても、能力がある程度あればやっていける気がします。でも、自分にはその能力もない。何も持っていない自分のような人間が、仕事=人生と捉えていること自体がそもそもの間違いなのかもしれない。諸悪の根源で、自分で自分の首を絞めて、苦しい状況に勝手に追い込んでいるのかもしれない。

 

仕事≠人生

置かれた場所で咲けなかった。

持っている資格で人生を咲かせられなかった。

 

それが今の自分。