わたしには夢がある

自分なりに調べたこと、思っていることを書き記していきます。頑張ります。

何かをコツコツ続けていれば、その分野に関するある程度のスキルと経験が手に入る

自分はとある専門職について10年ちょっとが経った。ただし、私は、西村ひろゆきさんがよく口にするいわゆる“無能”である。

 

ja.wikipedia.org

 

無能という言葉を知らない人のためにウィキペディアの記事を載せたが、残念ながら“無能”に関する記事はないということであった。無能は記事にすらならないのだろうか。

 

話を戻す。

なので、同職種で同じ時間だけやってきた人と比べると、できることや知っていることに差が生じている。いわゆる有能な人間は1年で10のことができるようになるとしたら、無能は10年経ってようやく1のことを覚えられたという感覚に近い。

無能という言葉について特に好きも嫌いもないが、もし人から「お前って無能だよな」と言われたらそれはそれでむちゃくちゃ頭にくるに違いない。とすると、私は自分のことをまだ無能であることを真に受けとめきれていないのだろう。「自分にはきっといつか有能になれる日が来る」と、心のどこかで期待しているのだと思う。だからこそ、「無能」と言われるとカチンとくるのだ。しかし、今ここで私自身が無能かそうでないかを考えていてもひとつも前に進まないので、この話はここで終わりにして本題に移りたい。

 

さて、本題とは何でしたかと言いたくなるが、タイトルにある通り、こんな自分でも一つのことを何とかかんとか続けてきたことで得られたモノがいくつかあるという話をしたかったのだ。

 

繰り返しになるが、私はとある専門職として現在も働いている。年数は10年ちょっとだ。中堅どころにあたる。働き始めてこの方、「社会人って、働くってなんて過酷なんだ・・・」と日々愚痴を吐きつつ今日まで働くことができて、明日からもまた働く。なので、何十年も働き続けている人のことを尊敬してやまない。どんな仕事であれ、働き“続ける”ことが何より大変なのだ。

 

私は無能である。しかし、そんな無能な自分でも、一つの職種で働き続けてきたことで、知識や技術がある程度身に付いた。1年目にできなかったことが、2年、3年と経ち、色々とできるようになった。もちろん、同職種の同学年の人と比べると、質と量に差があるに違いない。自分は無能、故に学ぶのに有能な人が要する時間の倍はかかる。ただ、過去の自分と比べたらできることが増えたのは事実だ。これは自分なりに何とか続けてこれたからだと思っている。それに、教科書からでは得られない経験も手に入れた。これは実践知とも言うべきか。あくまで経験則なので主観性に偏るが、「これはおそらくこうかもしれない」というような、いわゆる“カン”というものが働くようになったのだ。もちろん、この“カン”が外れたら元も子もないし、“カン”だけで仕事をするのは不適切なのは間違いないが、うまく働かせることでいい方向に向かうきっかけになることがある。

 

何か失敗するたびに「この仕事は自分に向いてないよな」と呟いたり、のたうち回ったりするうちに、気がつけば10年ちょっと経っていた。今この瞬間にも「向いてない」ことが頭をよぎる。

 

ちなみに、今言った知識や技術は、今自分が働いている領域でしか使えないものである。もちろん、考え方などをアレンジして全く別業種で生かせる場合もあるかもしれないが、自分は無能なので応用が苦手である。なので、今後も自分の知識と技術は今の仕事にしか使わないだろう(というか自分の力量上の都合で他業種で使いたくても使えない)。

 

とすると、自分は今後も今の仕事を続けていくしかないのだろうか。実は(誰に語ってるんだ?)、私は転職を考えたことが何度もある。今も考えている。少し前(今もかもしれないが)に、プログラミングスクールの広告をよく目にするようになった。自分は人付き合いが苦手なので、パソコンと向き合う仕事の方が向いているのかもしれない。そう思って、Progateというネット上で独学でプログラミングが学べるサイトで実際にコードを書くということに挑戦してみた。結果は「今の仕事の方がいいだろう」と思った。時間をかけてやったというのと、初心者が最初にやるコードだったので何とかできた。しかし、これを仕事にしたとしても、おそらくまた「自分にはこの仕事は向いてないんじゃね」という波が押し寄せてくるに違いないと想像した。そして、その波に沈んでいくことも。

たとえ転職してプログラマーになったとしても、何かうまくいかないことがあると「自分はどうせダメなんだ」「この仕事向いてないや」と思ってしまうに違いない。失敗するたびに自分の適性について考え落ち込んでしまうこの思考回路をどうにかしない限り、転職しようが、今の仕事を続けようが、待ち受けている未来はそう変わらないのかもしれない。

 

それに、今の仕事は私の中で比較的適性があると思っている。なぜかというと、過去の自分のアルバイト経験にある。私は、学生時代にファミレスの皿洗い、携帯電話の部品の組み立て、引っ越しなどいくつか経験した。しかし、私はそのどれもが何一つ満足にできず、怒鳴られ、蹴られ、どれも長くは続かなかった。ただ、その中で続いたのが不登校の子の家庭教師だった。この家庭教師のバイトは、学生の時、当時の先生からの紹介で始めたものだ。これは1年以上続いた。その子の家が自転車で1時間くらいかけて通う距離にあったので、通勤は大変であったが、精神的な負担は特になく、むしろ喜んで自転車を漕いで行った。

 

不登校の子とのやりとりを経験して思ったのが、自分には皿洗いや部品の組み立て、引っ越しなどのある程度のスピードと、そのスピードを保ちながらある程度の正確さを保つ業務は無理だと、逆に目の前方にじっくり向き合う方が自分には合っていると感じた。もちろん、どの職種であれスピードは大事だと思うが、家庭教師には皿洗いや部品組み立てのような切迫感を伴うスピードは要求されないし、引っ越しのようなブラックな感じもない(もちろんよい引っ越し業者さんもあります。私が働いた場所がたまたま合っていなかっただけです)。

そういう経験から、今の仕事に就いている。ちなみに仕事は家庭教師ではない。が、目の前の方とじっくり向き合う仕事ではある。

 

なので、やっぱり今の仕事が自分には合っているのかもしれない。それに、一つの仕事を続けてきたからこそ得られたモノがいくつかある。これはお金には変え難い。無能でも、何とかかんとか続けることで得られるモノ、磨かれるモノがあるのだ。

 

辞めることももちろんあり。大あり。ただ、自分はもう少し今の仕事を掘り下げていきたいと思う。