わたしには夢がある

自分なりに調べたこと、思っていることを書き記していきます。頑張ります。

気持ちが浮いている時も沈んでいる時も、まずはひたすら歩きましょう。

気持ちの浮き沈みが激しい方がいますよね。

ちなみに、私は激しいタイプです。浮いたり、沈んだり、無駄に忙しいので、こんな自分を直したくて仕方がないのですが、これが中々直らないんですよね。生まれ持ったものなんですかね。

 

自分としては、浮き沈み自体をなくすことはほぼ不可能だと思っていて、できることはその浮き沈みをなるべく小さくしたいんです。浮いたり、沈んだりするのは、自分なりに色々と頑張ってみましたが、いくら頑張ってもうまくいきませんでした。というか、そもそもこれって頑張ってどうにかするものなのかと自問自答してみることも・・・。

 

自分の周りの方々は、感情をうまくコントロールされていますが、コントロールすることだけに自分の時間全てを投下しているようには見えないんですよね。自分の場合、コントロールしようとすると頭の中はそればっかりになってしまい、他のことに手が回らなくなり、気がついたら何時間も何日も経過しているなんてざらにあるんですよ。なので、これってもう生まれ持ったいわゆる生きづらさなんだなと諦めています。

 

ただ、この生きづらさが少しでも和らぐ方向に持っていけないかと模索することは大切だと思うんですよね。生きづらさはきっとこれから先もずっとあるわけで、これができるようになったから今日からはもうハッピーラッキー毎日スッキリウキウキなんてのは夢のまた夢で、幻でしかないわけですよ。

 

ところで、自分の浮き沈みの原因は誰かに言われたことによるものです。これ、別に「俺に口出しすんな」とか、その誰かが悪者だなんて思っていません。自分の受け止め方がいけないというか歪んでると思うんです。普通は「はい、分かりました。ありがとうございます。」で済む話なんですが、自分は言われたことがずーーーーーーーーーーっと頭の中を巡っていて、「あぁ、やっちまったな」「あぁ、もう全て終わらせたい」と無駄に落ち込みすぎるんですよね。かと言って、褒められたら褒められたらで天にも昇る気分に浸り、ルンルンルーンとスキップしているわけです。面倒くさいですねー。激しく面倒くさい。

まぁ、これが自分の生きづらさの根幹を成しているのかもしれません。

 

死ぬまで生きづらいとぼやいていると思うので、ではその生きづらさをどう緩和していくか。それは浮いている時も沈んでいる時にも、その時に自分がやることをいくつか決めておくといいと思うのです。

そこで今思い浮かんでいることが「歩くこと」です。

ひたすら歩く。屋内でも屋外でもとにかく歩く。無茶苦茶歩く。途方もないほど歩く。

何で歩くのが良いかと言うと、歩いていると次第にその時の感情を一時的にでも忘れられるからです。これは自分の経験則なので何の科学的根拠もありませんが、自分は歩くとその感情から一時的に避難することができるんです。

 

避難した後で振り返るのと避難しないで振り返るのとでは、物事の捉え方が全く違ってきます。避難しないで振り返ると感情の赴くままに考えてしまい、むしゃくしゃした感情がより増強し、暴飲暴食など二次的な問題に発展しやすくなります。一方で、避難した後で振り返ると、頭が少し落ち着いてきているので冷静に物事を捉えようとします。冷静さが出てきている分、二次的な問題には発展しにくくなると考えます。

 

なので、浮いている、もしくは沈んでいるといった自分の心身の状態がニュートラルでない場合には、まずはなるべくニュートラルの状態に近づける。そのために歩くなどのその時の感情から避難する手段を用いる。

また、避難する手段はいくつかあった方が良いと思います。複数の避難手段があった方がさまざまな状況でその手段を使い分けられますからね。

 

そして、私は今から歩いてきます。ニュートラルとは程遠い状態にあるので。

さようなら。