わたしには夢がある

自分なりに調べたこと、思っていることを書き記していきます。頑張ります。

頭の中で音を分解するんだよ

音を分解することで、頭の中にある音を目の前の文字に当てはめることができるのです。

 

どうもー、社会不適合の天才でーす!

 

わかりました、自分の才能。社会に不適合なところです。才能って生まれ持ったものです、センスです。センスっていうものは他の人よりも優れているからセンスなのです。自分の不適合具合といったらたまりません。ずば抜けています。圧倒的で抜群のセンスを誇っています。やっと出会えたホントの自分。

 

ちょっとテンションがおかしいですね。はい。

本題に戻ります。

 

文字を読むためには、言葉(単語)について頭の中でその言葉の音を分解したり、その言葉の最初の音は何だっけ?と考えたり、その言葉を逆から並べ替えたりといった、言葉の音について考えたり、扱ったりする力が育まれていく必要があります。

冒頭に書きましたが、なぜ音を分解することが読むことにつながるかというと、ここではひらがなを例に出しますが、文字(ひらがな)と音は基本的には1対1対応なんですよね。”あ”という文字は必ず「あ」と読みます。天地がひっくり返ってもこのことは揺るぎません。”は”と”へ”は例外ですね。文の中では「わ」や「え」と読みますもんね。

このようにひらがなは文字と読み(音)が1対1の関係にあります。ではそれがどうしたという話になりますが、その文字と読み(音)の関係性に理屈はないんですよね。”あ”という文字は「あ」って読むんだよ!と頭ごなしに言われる感じで、否応もなく覚えていくしかないんです。その覚える過程で必要となるのが言葉の音について考えたり、扱ったりする力なんですよね。

わかりにくいですよね。すみません。もう少し続けさせてください。これ、誰かに説明する際の練習の意味合いもあるんです。つまり、文字と読みの関係性を覚えるには、ある文字にある読み(音)を当てはめることが必要なのです。で、このある文字にある読み(音)を当てはめるためには、頭の中で言葉を一つ一つの音に分解しなければいけません。

人は「いぬ」という言葉を覚えた時に、はじめは「ワンワンという」「毛がふさふさ」「四本足で歩く」「吠える」「可愛い」なんていうふうに、「いぬ」というその言葉が持つ色々な意味を知っていくのですが、やがて「いぬ」という言葉は、「い」と「ぬ」に分けられる、「いぬ」の最初の音は「い」だ、なんてことがわかり始める時期が来るんですよ。言葉の意味だけでなく、言葉の音について考えられるようになるわけですね。しりとりなんかも言葉の音について考えられるようになったからこそ遊べるようになります。しりとりは、言葉の最初の音と最後の音が何かがわからないとできませんから。もちろん、最後の音から次の言葉を思い浮かべる語彙や語想起の力も必要となりますけどね、ここでは割愛させてください。

 

言葉の音について考えられるようになり、「い」と「ぬ」のように言葉を一つ一つの音に分解sできるようになると、”いぬ”という文字を目の前にした時、頭の中にある「い」という音を”い”に結びつけ、「ぬ」という音を”ぬ”に結びつけられるようになるのです。もちろん、目の前の文字(ここではひらがな)という一種の記号に名前(要は読み方、または音)があることに気づいている必要もありますよ。絵もオリンピックで話題のピクトグラムもひらがなも大きく言えば記号の仲間ですからね。それらの記号に名前があることがわかり、その記号に頭の中にある音が結びつくと、”いぬ”というひらがなを「い」「ぬ」と読めるようになるわけです。

 

なので、ひらがなを読むためには、頭の中で言葉を一つ一つの音に分けられるようにする力が必要になるわけです。絶対ではないです。ですが、音について考えたり扱ったりする力は、文字を読むためにとても重要な力であると言われています。